先日、12日のお話です。
娘の高校の文化祭に行きました。
受付をして、パンフレットを頂き 体育館へ
真っ暗な館内には大音量の音楽が流れ 掛け声や サイリウムを振る光が飛び交いと...熱気と湿気でいっぱいでした
友達と一旦外にでて、クラス展示を見に行くことに。 去年 生徒が溢れてて廊下を進めなくなったことを思い出したので。
その日は雨で、なるべく濡れないように渡り廊下まで急ぎ、傘を畳んだり、スリッパに履き替えて、どこから回る?と話していますと 私の横を一人の男性が...先生でしょうね もちろん 通り過ぎました。 あれ さっきの人どこかで見たことあるなと目で追っていると、その方も こちらを振り返って目が合いました。
ですがそのまま走り去って校門から出て行ったので、保護者だったかな 思い違いだろうと さっきより強くなった雨と蒸し暑さにウダウダいいながら、校舎へ入ろうとすると
さっきの人が小走りでやってきて、
「どこかでお会いしました?」とニコニコして聞きます。
私はその段階で やはり思い違いでないことを確信しました もちろんその方も
「U先生ですよね?」と伺うと そうだと
私が旧姓を名乗るとやっぱりな そうじゃないかと思って戻ってきたとおっしゃいました
私の高校の時の生物の先生です
卒業して20数年ぶりの再会
娘が通っていること、
先生は今も生物を教えていること
去年はオープンスクールでも文化祭でも一度も校内で会わなかったのに.....
入学する前年にこの高校にいたこと
まさか自分の娘の高校に配属されているなんて 受け持ちの学年が違うのと、理数系で物理選択なので会うことがないのか 帰って聞いてみても知りませんでした。
懐かしく話し込みました。
先生はお若くて、あの頃 20代後半だったのかとか お前と一回り違うもんな お互い年取ったなあと.....
よく思い出すのが、この時期と同じく文化祭の準備をしていたときのこと
夜8時過ぎまで残って作業していることがありました。野球のシーズンで当時 友達とヤクルトスワローズのファンで応援していたので、職員室のガラス窓を開けて、野球中継のテレビがついているのをカウンターに身を乗っけて見ていました
「お前らはよ帰らんか~ 」とU先生が注意します。顔はニコニコ
「まだ終わらんに~ 準備 」
「野球観よんやないか」と
まあ いいやん と今では考えられないようなタメ口きいてました
本当に懐かしくて 一瞬高校時代に戻った気分でした。
最近 当時の先生に会ったこと
私の担任だった方も 元気だと
教職員同士 交流があるんだなあと更に懐かしく思いました
「そうだ E先生は?お会いになります? 」と聞くと
「E先生は亡くなったんよ 病気で入院しててな」と.....
私は高校1年2年とクラス委員をやっていました
3年は大学進学のクラスだったので、大人しく何も引き受けませんでしたが、入学当初から委員を通して、お世話になった先生がいました。
生徒指導のE先生 名前がとても特徴的で、名前の通り愛のあふれる温和な先生かと思いきや 不良も黙るくらいの厳しさに強面 無表情が第一印象でした。
ですが 私は少しも怒られた記憶はありませんでした。 多分あの頃で50代後半くらいかな~?おじいさんな印象でした。
たくさん 指導頂きました
写真撮影がある前日には、スカートの丈が長いほう(当時短いのと規定の両方所持555)を履いてくるように前もって念押し?されたり、廊下で踊るなとか怒りつつも、呆れ顔で笑っていたり 作文コンクールに選出された3年間は添削指導を熱心にしてくださり おかげで入選したこともありました。ぶっきらぼうで、厳しい先生でしたが 時折見せる笑顔が堪らなく優しかったことを今でも思い出します。
大学卒業後、病院の医療事務をしていたときに、健康診断に訪れたE先生を受付したのが最後でした。あの時も、ここで働いてたんかと笑顔で接してくれたことも思い出しました
偶然というか必然なのか
U先生に会えたこと
E先生の死を知ったこと
なぜ この記事を書こうと思ったのには訳がありまして
すいません もう少し長くなります。
私が文化祭に行く前日に、娘に自分の文化祭のことを話していました。夕飯の後、家族で。
「ママって高校時代からそんなにふざけた子やったん?」って 聞き方 オィ
そこから 前に書いたように クラス委員のことや作文コンクールのこと 成績のこと やることはやってたで自分は せやけどめちゃくちゃ遊んだし、あんたよりは不真面目なこともやったわと。
でも 根底には、きちんとした先生が居てくれて、大きく道にそれるなんてこともなくて 今のように普通に暮らせて 尚且つあんたが言うように、ふざけた大人やけども、日々親やってるんやわ~と 話しました。
E先生のこと 英語科を目指すにあたって助言してくれた英語の先生のこと テニスの顧問のこと 高校時代の半分は少ないようで、大人に関わって過ごしたこと
その話をした翌日に、再会した先生 特別関わった先生の死
不思議でした。
文化祭に行き 多くの人が行き交う場で その時間に その場で 立ち止まったこと
偶然でしょう
でも感慨深く
もう会えないのだという 喪失感
数日 何ともいえず切なさを感じました。
3日間の文化祭行事も終わり 連日学校に赴いた日々
親は親で友達や、初めての方との出会い 妙に意気投合して騒いだり、、、さっきのお母さん友達やったん?ってきかれて 全然知らん人やけど なんか盛り上がってん!ってなったこと555
普通の日常と懐かしい日々が一瞬重なったような そんな日々でした。